●御堂筋に新風吹き込む●
 破産したそごうをめぐって名建築が二つ姿を消すことになるかもしれない。大阪・心斎橋の「そごう本店」(1936年完成)と東京・有楽町の「そごう東京店」(1957年完成)で、ともに建築家・村野藤吾先生の名作である。名作と言われる理由は、その都市や地区を新しいイメージとして印象づけた建築の役割を讃えたものである。

 この二つの建築の特徴は、縦型ルーバー(格子)の関西と、横型水平窓の関東という、ユニークな外壁デザインにある。大阪の縦ルーバーは、トラバーチンを使った淡い乳白色の大理石貼りで、石材の工法・使用に充分経験のある建築家にしか実現できないデザインである。世界的にクラシックな様式建築や折衷主義建築の時代に、衝撃的なデザインとして世界の建築界に受けとめられた。
デパートは、アメリカ・シカゴに始まる。これまでになかった商業建築で、建築家にとっての新しい課題であった。商品を陳列展示する壁面の大きな建築にどういう外観を与えるか、多くの建築家たちは、巨大倉庫か骨組みにガラスを入れたオフィスと同じ外観しか考えつかない。シカゴもこの手法で始まっている。ところが「そごう本店」は、御堂筋に新風を吹き込んだ。

●日本の「かげり」を連想●
 それまで関西の風土は実利主義の気風が強く、西欧の様式主義も形式的に終わり、真の現代建築はなかなか実現できなかった。しかし、この美しいそごうは、大阪が現代都市の仲間入りをする役割まで果したのである。民間建築は自分のことで精一杯で、御堂筋を近代化しようとするような事例は稀で、天才ではじめて可能なことであった。

 しかし公共建築での兆しはあった。例えば学校建築で、東京、大阪に木造校舎からRC造への建て替えで、ドイツの建築家・タウト(伊勢神宮や桂離宮を評価した)をして世界一といわせた現代建築が実を結び、また吉田鉄郎率いる郵便局が、東京、大阪に新しい息吹をみせていた。同時代のドイツのワグナーによるウィーン郵便貯金局(1906年完成)と比較して、すでに高い評価を得ていた。

 しかし利益追求を主とする民間建築では、装飾はあっても、芸術や造型的建築の必要はかえりみられることはなかった。二十数年後のブラジルからはじまったルーバー建築の国際的な大流行と違い、そごうは日本の格子を思わせる、太陽の角度で微妙に表情を変える風格があり、日本の「かげり」を連想させる魅力的デザインであった。

 有楽町の「そごう東京店」も、皮膜の意味を問う、意表をついたデザインであった。あえて皮膜という言葉を使うのは、これまでの建築と違い、その存在は建築の目的や内部機能を越えて、まるで街のためにつくられた巨大スクリーンのような役割を感じさせるからである。

●華やかな都心を演出●
 現代建築の常識は、1960年代には主として機能と表現の直裁さが評価され、例えばオフィスでは、ミースのニューヨークの「シーグラム・ビル」(1958年完成)があり、わが国のオフィス・ビルも殆ど同じ考え方にとどまり、環境をつくることに踏み込んだ建築は稀であった。

 ところが「そごう」は二つとも違っていた。建築の外観を決定づける皮膜は、東京では南面に水平の連続窓、北面に西陣織のような大理石の粗面で仕上げられている。この外壁によって実に清々しいさわやかな景観を生んでいる。

 これまで皮膜は、内部の表現として二義的な役割しかなかったが、この建築の魔術的効果によって、有楽町界隈に現代建築が優美な姿で出現し、これまでの銀行やオフィスにみられる折衷主義でもなく、レンガ造の西欧追随でもなく、いかにも日本の風土を演出するかのような街並を出現させたことにあったことである。

 同じ頃に出現した丹下健三の旧都庁舎(1957年完成)が、真っ黒の黒糸おどしの鎧と見るなら、そごうは絹の友禅をまとった艶姿で、この一帯が、現代建築で急に華やかな都心という印象をつくりだしたことは特筆すべきことであった。これは建築が単なるランドマークや、企業のシンボルでなく、都市のイメージをつくっていくという建築本来の価値を強く表明したものであった。こういう建築の成果が蓄積されて、現代の都市文化は構築されるものといえよう。

 こういう名作が、そごうと運命をともにして消えていくのは残念でならない。建築は、企業の広告ではない。メディチ家が滅んでも、フィレンツェは現存する。このことは保存とは違う。建築は地域の歴史の証人であり、都市をつくり、時代をつくるという建築家の功績と寄与を、日本の都市文化の形成のうえで、決して過小評価してはならない。


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