【正論】建築士は社会の調整役との自覚を

技術だけでなく求められる見識

≪問われたモラル面の資質≫
 このところ連日、耐震強度の偽装問題が建築界で話題になっているが、建築基準法違反者をスケープゴートにして済む問題ではない。問題をたどっていくと、法律をはじめさまざまな問題が絡んでいることがわかる。

 建築士とは、昭和二十五年制定の建築士法で定められた「建築物の設計、工事監理等を行う技術者」の国家資格である。その業務の適正化をはかり、「建築物の質の向上に寄与」することを目的とした制度であり、一定の規模、内容の建築はわが国ではすべて建築士しか設計ができないことになっている。

 さて、今回の事件そのものについては、いずれ司直の手で詳細が明らかにされると思われるが、問題は一体どこにあるかといえば、通常通り進んだと思われるプログラムの中で、構造計算書に偽造部分があり構造的に必要な安全が確保できていなかったにもかかわらず、それを発見できなかったという点にある。あってはならないことであり、二度と起きないようなシステムの改善に向けた議論を早急に進めなければいけない。

 私が指摘したいのは、技術者は本来正しく業務を遂行するという正当な人道上の使命感、責任意識を持たなければならないということだ。事件にかかわった建築士は、この点で重大な欠落があったと言わざるをえない。たしかに法律で倫理や精神性を守るのは難しいが、今回の事件は、そうしたモラル面が建築士の資質として何よりも問われるべきことを示している。

 そこでまず、世界の建築家と日本の建築士の違いについて、触れておきたい。

≪評価低すぎる構造設計者≫
 欧米の建築家(アーキテクト)はこれまで、その時代の国家の社会的信頼をうけてきた文化的存在であった。そこには〔技術者=エンジニア〕は含まれていない。それに対し、日本の建築士は技術的信頼をうけて育ってきた新しい職能である。日本の建築士という資格には、建築の統括者としての役割とともに、構造、設備、積算などの技術者としての能力をも含んでいる。

 では、建築士は法律にいう技術士なのかといえば、私の考えでは建築について深く考え、総括する『新しいタイプの建築家』であってほしいと思っている。この方が現代にふさわしいと思う半面、技術がどんどん高度化し複雑化しているだけに、一人ですべてを取り仕切ることが難しくなっているのも事実である。将来はさまざまな分野の建築士がコラボレート(協力)していくシステムをつくり、世界の建築界が日本の建築士を模範とするようになることを私は望みたい。

 もうひとつの問題は、建築における構造設計家の地位の問題である。本来、世界的にもトップクラスである建築での構造設計家の地位が、日本ではまだ確立されていないことは残念である。たとえば、これまで建築デザインの賞はいくつもあるが、構造設計への賞は極めて少なかった。

 十五年前、早稲田大学構造研究室の松井名誉教授を記念し、優れた構造設計者をたたえ、育てるべく、国際的な顕彰制度として『松井源吾賞』が創設されたが、それも今年限りで終了した。これまで、R・ロバートソン氏、小堀鐸二氏ら新しいタイプの構造的『建築家』ともいうべき内外の三十一人を顕彰し、構造設計者の大きな励みとなってきただけに、今年で終わるのは極めて残念なことである。

≪国外でも通用する資格に≫
 建築士は単なる技術者で終わってはならない。これまでの欧米の建築家を超えた真に社会の求める情報、価値工学、システム工学などを包含する知識と見識を備えた総合プロデューサー、社会の調整役的存在でなければならない。

 そうした面から建築士を育てる教育の問題を眺めると、取り組むべき方向性は自ずと浮かび上がってくる。技術的な研鑽もさることながら、常に人道的見地から建築の目的をとらえる教育も不可欠である。また日本の建築士が国内外を問わず活躍できるよう、海外でも通用するような広い視野に立った資格内容とすることが望ましい。もちろん海外からの受験にも対応できるようにすることが必要だ。

 建築は「環境づくりの基礎」でもある。地球環境との調和に役割を果たすことにより、究極的には安全、平和、自由、平等を勝ち取っていく使命すら帯びている。少なくとも建築士はそう自負すべきだ。今回の事件は、まだ全体像が明らかになっていないが、世界にも希有な日本の建築士・構造設計者の活躍の舞台がこの件で狭まることだけはあってはならない。

2005年12月13日 産経新聞朝刊に掲載 


Copyright 2003, Kikutake Kiyonori., all rights reserved.