「永久」と「更新」の文化新統合めざせ

ー「木造の洗練性」を生かした新工法をー

≪風土と社会で文化多様≫

 昨年11月末、「歴史と現代建築」というテーマで建築家の国際会議が行われ、世界各国からの参加者によって、活発な議論が展開された。開催地のローマは、テーマにふさわしい会議環境といえたが、現代がいかに面白い時代であるかということを、改めて痛感させられた。

 わたしは歴史の専門家ではないが、16世紀以降の東西建築の方向について、西欧が石造で東洋を木造と特徴づけるとするなら、石造は永久建築を理想とし、わが国の木造は、部分的な改築を繰り返すという更新建築によって人々の希望を満たしてきた。その結果、石造建築は老朽化したら廃墟となるしかないが、木造建築は今日にいたるまで、引き続き人間の建築への欲求を満たしている。

 海外の講演でも述べていることだが、この2つの文明が文化として発展・存続していることを考えると、いずれの道をとるのがより優れた選択なのかは容易に判断できないが、18世紀の産業革命によって鉄・ガラス・セメントといった新しい人工材料の大量生産が基盤となり、現代建築の競争が始まったということができる。これが、ユーラシア大陸における壮大な建築の歴史的展開である。

 さらに、16世紀ごろイタリア・ルネサンスと日本の江戸文化がほぼ同時に起こった。そこでは、それぞれの地域の気候や風土・社会体制が、文明とは異なる多様な文化を生み出している。

≪現代都市ローマの知恵≫

 わたしはこのことを、井上靖総合プロデューサーのもと、ならシルクロード博の建築プロデューサーとして考えさせられた。ここでの仮説は、西欧の石造には確かに長期の耐久力があり、理想の建築を実現できたであろう。しかし、東洋の木造はモンゴルのパオに代表されるような、軽量で移動しやすく、解体・組み立てが容易にできる建築を追求し、これが東の日本で高度な木造として発展した。

 つまり、石造の1回限りの技術と、繰り返しが可能な木造の技術を比較すると、更新性を持った建築の方が明らかに進歩が早く、美しい建築をつくれるようになったというわけである。

 ならシルクロード博では、角山榮先生(堺市博物館館長)と一緒に、すべてのパビリオンをテントと木造トラスで軽量化し、地下の埋蔵文化財を守りながら、設営や撤去を短期間ででき、伝統文化財とも調和する会場とした。また、混雑状況や防犯・防災情報を、会場間の映像や音声によるマイクロ通信といった現代技術によって実現できたし、更新性という日本の現代建築の重要な問題について提示することができたのは、かけがえのない機会だった。

 ここで、現代のローマを見てみると、都市の至る所に過去の遺跡が遺されていて、新しい建物の地下からは無数に遺跡が出てくる。そのため、かつての広大な直線道路は自動車で埋まり、交通渋滞を招く停滞現象となっている。しかし、その直線道路はよく整備されて見通しがきき、よく見ると石造・レンガ造の構造部分は、遺すべきかどうかの判断によってきめ細やかな対応がなされ、慎重に選定されて付け加えられた新材料や色彩、装飾などが、わたしの提言する「新統合文化」の創造に繋がっている。現代建築だけでは、これだけ豊かな表現と内容の豊富さを実現するのは、容易ではないだろう。

 ここにローマの再生があり、次世紀の『環境適応様式』の出現を予感するのは、わたしひとりではなかった。

≪「新統合」という未来形≫

 これまで日本の木造建築は、極めて優れた技術的解決方法により、他の文化とは比較にならない洗練された美しさを生み出してきた。

 それが、現代建築ではどうかといえば、鉄やガラス、セメントやチタン、プラスチックといった木を超える新材料を使いながら、いかに持続的に解体・組み立て・循環していくかという取り組みがあまり見えてこない。これは実に残念なことだ。
 これらの新技術や新工法、その運営管理を、引き戸や床の間、坪庭など、自由に増改移築できる日本の和風文化にうまく取り入れ、世界に誇る「新統合建築」を実現すべきではないか。

 わが国は、自由な宗教観をみればわかるように他国の文化を柔軟に摂取し、高度化してきたわけで、こうした「文化の構築競争」は、海外では既に始まっている。

 ローマでの「歴史と現代建築」という会議のテーマは、これからの新しい道を示唆する、とても興味深いものとなった。

 2006年12月31日[産経新聞正論] 建築家 菊竹清訓


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