建築の安全確保こそ建築士の使命

「姉歯事件」で再確認すべきこと      建築家 菊竹清訓

≪世界に冠たる日本の制度≫
 姉歯元建築士による耐震強度偽装にはじまり、建築士の責任が問われる事件が多発している。何よりも、被害にあわれている方々に対しては、一刻もはやく問題が解決し、落ち着き先が決まることを心から願っている。
 それにしても、住宅の確保を、いつまでも個人だけの責任にしておくことには疑問がある。この半世紀余り、年間百二十万戸を建設し続ける能力を有しながら、いまだ日本が住宅問題で解決を見ていないというのは、先進経済大国として明らかにおかしい。これは「文化の危機」とでも言うべきものだ。
 都心の住宅不足は郊外の住宅過密となって現れ、結果的にいつまでたっても交通混雑は解消されない。都市基盤の不備は日照権紛争などにみられるような都市環境の歪みを拡大している。責任の一端は建築士にもあるが、こうした自体をいかに解決するか、それこそが二十一世紀に突きつけられた都市問題といえる。この解決には、これまでの対応では不完全だ。
 わが国に建築士制度が設けられていること自体は、世界的に高く評価されなければならない。日本以外の国では建築デザインを描く「建築家」はいても、これを技術的側面から支えられる「建築士」はいない。都市建築は技術的基盤がより強力に求められるようになっている。そのことへの自覚が海外ではまだまだ不足しているためである。
 日本は自然災害が多く、地震、洪水、台風に対し、建築物の安全確保のための技術的な態勢が早くから必要であった。それが建築士制度の創設を急がせた理由でもある。

≪環境と文化の創造者たれ≫
 国連の予測によると、途上国の急激な人口増は農村から都市への大規模な人口移動を引き起こし、そのことによる環境問題が集中的に起こってくるという。そのための技術的、産業的支援が求められている。日本にとって、国内外で台頭する諸問題に対応できる新しい技術をもった人材が、都市・建築分野においても緊急に求められている。
 現代の都市建築の問題は、二十世紀までのそれと比べ、範囲、規模、変化のスピードともに著しく異なっている。これらの問題に取り組めるプロの技術的建築家、すなわち建築士に期待がかかるのは当然のことであろう。
 建築士制度は、世界に先駆けて日本がつくり上げたものだが、次世代の環境づくりの専門家集団としても大切に育て上げ、守っていく必要がある。ヨーロッパでもユネスコを中心に同じ観点から途上国対策を考えていると聞く。
 今回の耐震強度偽造事件は、計算プログラムの欠陥や問題点などについても追及されることになろうが、不正行為を働いた建築士の責任も厳しく問われる必要がある。
 将来に向けた望ましい環境づくりに、どうすれば建築士が役立てるのかも見極めなければならない。建築構造の分野に限っても、建築士がカバーすべき範囲は急速に拡大し、技術も格段に高度化してきている。地震を例にあげれば、大規模災害が発生するたびに年々改善を加え、対策を高度化している。法的基準の修正など、行政の対応も最先端の内容を絶えず付け加えていかなければならない。
 建築士の国家試験合格者数は年々増加しており、累計で五十万人を超える。ところが、建築士に入会して実際の実務につく者は、いまだ十万人に過ぎない。今後も年間一万人の増加が続くと見込まれているものの、社会的要求にはまだまだ満たない。

≪厳罰化で足れりとするな≫
 それだけに、環境づくりのリーダーでもある建築士が資料の内容を改竄し、コスト面から構造的に脆弱な建築設計を行い、施工に移っても建築士による修正がなく、竣工前の中間検査も通ってしまうという、信じ難い事態が起こったことについては、その建築にかかわった建築士全員の責任が問われることになる。
 竣工までの全プロセスでなぜ不正を発見できなかったかについては、これから議論されるに違いない。当然、安全性より経済性優先の行き過ぎた発注者の姿勢や保険加入責任なども含め、広域な対策が検討されよう。
 しかし、処罰を厳しくし、検査を多くすれば事足れりという話ではない。建築士自身が、再び同じ事態は起こさないという強い倫理観を持つことこそが重要であり基本だ。
 日本の建築士は国境を越えたプロフェッションであり、世界から高い評価と絶大な信頼を得て、社会的にも尊敬される存在になるまで、これから全員で努力し続けるという決意を表明すべきである。

2006/2/19(産経新聞朝刊) 


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