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≪リーダーとしての田中角栄≫
田中角栄元総理は毀誉褒貶の激しい政治家だが、在任中に周恩来との間で日中国交を実現させ、国内では「日本列島改造論」によって日本経済の発展に大きく寄与した功績は偉大である。日本の将来のビジョンを示し、国民に未来への明確な方向を与えただけでなく、国家としての問題提起がされたと思っている。その成果は元国土庁事務次官、下河辺淳氏の素晴らしい取りまとめにより、「全国総合開発計画」として数次にわたって発表された。
委員会は、日本を代表する学者や財界有力者から構成され、その優れた議論は刺激的で、私は大いに啓発された。その後、田中内閣から大平内閣へと引き継がれ、梅棹忠夫委員長による「田園都市国家構想」がテーマとなったが、大平総理の急死以来、国家のビジョンが立ち消えになったことは惜しまれる。
一方、田中元総理は、列島改造に先立ち、ビジョンを遂行するための専門家集団として建築士制度の創設に尽力し、自らも建築士の資格を取得している。この制度により、建築教育が大きく転換し、建築士の資格に構造や設備など技術分野の重要性が明記されたことは重要な点である。半面「欧米の建築家」と「日本の建築士」との違いがはっきりし、現在のところ孤軍奮闘状態にあるが、統括的な役割を担うべき日本の建築士制度の本来の良さが、広く世界で認識されることを願っている。
≪金田一京助さんの激励≫
しかし、エンジニアと建築家の領域が明確に区別されている欧米の建築家資格制度には疑問が残る。現代技術の発展は目覚ましく、システム工学からIT、コストマネジメント、セキュリティーやメンテナンスシステムまで、その領域は著しく拡大し、建築技術とも密接な関係にある。
その点において、ここにきて西欧の建築教育の立ち遅れを指摘する人も増えてきた。その兆候として、建築デザインの中心だったフランスのボザール(国立美術学校)消滅や、ドイツのバウハウス教育の行き詰まりがあり、対照的にスイスのポリテクニック(工科大学)に人気が移ってきたことが挙げられる。パリで行った講演で、うっかりエッフェル塔の設計者を建築家だと言ったことで、「彼は建築家ではなく、エンジニアだ」と反論され、フランスの若い建築家の方々とは、いまだに論争が続いている始末である。
かつて、文化人や芸術家などその年の受賞者が多数招待される、首相官邸恒例の花見の催しに招かれたことがあった。会の半ば、参加者を代表して数人の方の挨拶があり、パリのファッション界で活躍していた森英恵さんのひときわ華やかで元気なお話があったあと、言語学者の金田一京助さんが壇上に上がり、「とかく日本では、政治が混迷すると、不思議と文化が栄えるという歴史がある」と、江戸時代を例に挙げながら述べられた。
この突然の発言に、皆あっけにとられてしばし考え込んだ。私はこういう学者の存在は貴重でありがたいと思い、今も鮮明に記憶に残っている。
≪欧米「機能主義」の停滞≫
考えてみると、確かに江戸は民衆の娯楽文化が活発になり、能・歌舞伎・浮世絵など、目を見張るような文化の繁栄がみられた。やがてこの影響は世界に広がり、例えばゴッホやゴーギャンの絵画にも日本芸術の影響が見られる。ヨーロッパの画家たちをかくも魅了し、影響を与えた日本の文化にあらためて驚かされる。
しかし、田中内閣の時代には、ビジョンの遂行ばかりが優先され、文化の本質をとらえる余裕がなかった。では、現代はどうか。建築界で言えば、欧米の現代建築を支える機能主義は、今や機能分裂症状で停滞し、西欧の「永久建築」の理想にも無理があるように思う。
日本の歴史がつくり上げてきた「更新建築」の道には未来がある。日本流や日本調、さらには日本風といった多様な文化のコラボレーションやコラージュによって、日本建築はその神髄を保ちつつ、自然や外来文化と調和しながら発展してきた。少し前に審査員をしたカナダの国際コンペで、「日本風」という条件が設けられていたことは、何より世界に受入れられてきた証拠であろう。
現在、政治的な停滞が議論されているが、資金は豊富にあり、優れた芸術的センスのある人材にも恵まれ、文化再興の好機なのかもしれない。とりわけ、建築は文化のインフラストラクチャー(基盤)であり、今こそ未来の環境に対するビジョンが必要とされ、日本のこれからに世界の注目が集まってきている。
2008年1月24日[産経新聞正論] 日本建築士会連合会 名誉会長 菊竹清訓
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